頭の良さはそれほど差がない

最近の中学入試は頭の良さを求められる傾向だと思います。

このフレーズを聞くと、やるせない気持ちになる方が多いと思います。

頑張って努力しても徒労に終わるという印象になりがちです。

しかし、捉え方によっては、点数を取るためだけに労力をさくのをやめて、学力を高めることに労力をさくことを求められていると考えると、教育としては、とても良い流れになってきていると思います。

頭を鍛えることを回避して、テクニックで乗り切ろうという処世術というのは、冷静に考えると歪んだ世界です。

 

そうしましたら、頭を良くすることを目指したいところですが、頭を良くすることは不可能だと思われる方もいると思います。

地頭とか素質とか遺伝という文字が脳裏に焼き付き、生まれたときから頭の良さは決まっていると思われる方も一定数いるような気がします。

たしかに開成や麻布や聖光や渋幕に首席で合格を目指すともなると、先天的なものが大きく、類い希な素質を持って生まれ、その後、切磋琢磨していく環境が必要だと思います。

しかし、上記の難関校でも合格最低点で合格と考えると、かなり多くの子どもにチャンスはあると思います。

 

最近、スカイプ指導で「みんな、そんなに頭の良さは変わらないよ」と言っています。

頭の良い子は理解が早く、そうでない子は理解が遅いというイメージがあり、頭の良し悪しには個人差が大きいと考えられる方もいると思います。

完全には否定できませんが、理解力の差は、少し違うところにあると思います。

 

例えば、入試問題の問題文を読むと、難関校になるほど、意味の無い文章が書かれています。

「こう捉えると成立しない」というクレームをなくすために、問題を解くときには全く関係が無い、読まなくても分かりきっている内容の文章がずらずら並びます。

問題を読むときは、そのあたりはまるごと読み飛ばしていくのですが、それを一字一句、どういうことか丁寧に理解しながら読んでいくと、集中力が切れるというか、読むのにエネルギーを取られ、問題を解くためのエネルギー不足で、解法を考えられないという結果になるかもしれません。

つまり、無駄なところにはエネルギーは使わずに、大事なところに全力であたることが大切なのですが、それは授業で理解するときも当てはまると思います。

「核心部分だけしっかり理解するように努め、それ以外の繋ぎ部分はリラックスして聞き流す」

こういうことができていない子が多いと思います。

 

成績の良い子は、自分にとって必要かどうかの判断力が優れ、必要だと判断したあとの集中力が凄いです。

そのメリハリの大きさには舌を巻くほどです。

これを頭の良さというのならば、その通りですが、無駄なところには労力をかけないという習慣は日常から磨くことができるような気がします。

頭の良さとは、無駄なところはスルーする力と言いかえても良いと思います。

 

次は、算数のセンス的な内容に入っていきます。

センスは先天的なものではなく、後天的なものだと思っています。

センスを育成するためには、自分で考えて答えを出したいという姿勢ができているかどうかだと思います。

その姿勢の有無が、新しい解法を学んだとき、その解法を身につけようと思うか、その解法の仕組みを使えるように身につけようと思うかという違いになります。

 

先日の指導で、4×A+9×B=162という不定方程式が出てきました。

どう考えるかと言いますと、162はすぐに9の倍数と見抜きます。

9×Bがあるから、9に意識が向かうからです。

すると、Aはすぐに9の倍数と決まって、Aに9を入れ(0を入れた方が良い)、そのときのBを求め、あとは芋づる式に求めていきます。

162は9の倍数ということを利用しようとすることがセンスだと思われる方もいると思いますが、そうでもありません。

日頃、自分で考えて答えを出したいと思って学習していましたら、こういうときはどこに着目するかを、経験上、身につけているので、それほどハードルが高い話ではありません。

 

それくらいのことは暗記の算数でも行けそうですが、作戦は1つではなく、いくつかパターンがありますので、いろいろ暗記して使い分けていくのは難しいです。

仕組みを理解して、それを使っていくことを楽しめる余裕が大事だと思います。

月並みな言葉になりますが、楽しんで考えて問題を解けるかどうかです。

「楽しい」を「やり甲斐」という言葉に代えてもしっくりくると思います。

点数を取らなければならないというような追われる学習をしたら、楽しめるものも楽しめなくなると思います。

趣味ではなく、仕事になります。

大人ならば、いろいろ考えて仕事でベストパフォーマンスを発揮すると思いますが、小学生だと、仕事ではなく、楽しくて没頭するという方が上手く行くと思います。

考えて答えを出すことが楽しいと思うからこそ、解きやすい書き方をしようとか、どこに着目すればいいかとかを自発的に吸収でき、様々な解法を使い分けられるのだと思います。

 

センスがある子は、どのポイントを抑えれば、自力で解けるかをなんとなく掴めると思いますが、そうでない子はポイントを掘り当てられないと思います。

その際には、家庭教師などに、問題を見たときにどういう考え方で糸口を見つけていくかを教わると上達していくと思います。

上記の不定方程式ならば「まず倍数に注目する」→「162のような大きめの数は各位の和をさっと確認する」という習慣が必要と指導を受けていますと、このような習性が身につくと思います。

 

まとめますと、一部の奇才の子は除いて、頭の良さはみんな大きく変わらないけど、理解するときに無駄を捨てているか、楽しんで取り組んでいるか、自力で解けるようになるには何が必要かを感じる感性があるかというところに差があると思います。

感性で足りない部分は教わるというサービスを利用すれば、かなり吸収できると思います。

仕事で成果だけを残したいという姿勢で、解き方を身につけて良い点数を取りたいと考えていると、限界があるような気がします。

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