素早く正解にできることを目指しているのか?

タイトルを見ますと、そんなの当たり前!と思われそうですが、ここに指導者のセンスが絡んでくると思っています。

最近よく見る機会がある20以下のかけ算です。

17×18の計算を(17+8)×(18-8)+7×8=25×10+56=306で求めるらしいです。

まさに計算テクニックですが、私はこのような計算テクニックはあまり興味がなく、知らなかったのですが、理由は簡単です。

数学の展開を使ってもいいですが、小学生に指導する立場なら長方形の面積を使います。

17×18の長方形を考えて、それを内部でくぎり、「10×10の正方形」「10×7の長方形」「10×8の長方形」「7×8の長方形」に分けます。

すると25×10+56はすぐに理解できます。

 

私は以前から「2桁×2桁のかけ算」は暗算で解けるくらい計算力を鍛えようという主義ですが、私の場合は、愚直な解き方を推奨しています。

  1. 17×18は、「×1□」なので、170を軽く意識
  2. 17×8を暗算して136と求め、それに170をたす
  3. 170+136=306

このような手順で暗算で求めます。

 

上の計算テクニックと、私の推奨の愚直な解き方ではどちらが良いでしょうか?

圧倒的に計算テクニックが良いという答えが返ってきそうですが、計算に何を求めるかです。

速くて正解にできる解き方が基準ならば、計算テクニック一択です。

ところが、計算練習は、計算力をつける鍛錬の場と考えると、計算テクニックで良いのでしょうか?

 

例えば、5㎞先の公園まで行って往復するのに、自分の足で走って行けば足腰を鍛えられますが、自転車や自家用車を使って行ったら早く往復できますが、足腰は鍛えられません。

目的が公園まで行くことなのか、足腰を鍛えるための目安として公園に行くだけなのかによって、どっちにすべきかが決まると思います。

 

私の推奨している愚直な解き方は、「170を頭の片隅に置いておきながら、17×8を暗算し、頭の中で記憶していた170といまの136を暗算する」ということで、頭の中で数字を覚えていながら、他の計算をすることが鍛錬に相応しいと思っています。

170は記憶していなくても17を見れば分かるから、「17×18」程度ではそれほど鍛錬にはなりませんが、例えば「17×78」などになれば、17×70の1190を頭の中で覚えていながら、17×8=136を計算し、覚えていた1190と136の桁数の異なる数をたして1326と求めます。

このように数字を書いておけば、難しさは実感できないかもしれませんが、すべて暗算だと、なかなか難しいと思います。

とても鍛錬になる素材だと思います。

あくまでも個人的な感覚ですが、このような貴重な鍛錬となる機会を計算テクニックで台無しにするのはやるせない気持ちでもいます。

その意味では、そろばんも中途半端にやるくらいなら、暗算の鍛錬の機会が失われますので、やらない方が良いと思っています。

 

そんなハードルの高い計算は無理!と思われるかもしれませんが、やって行くとだんだんできるようになります。

もちろん、最初は「×1□」、それが速くできるようになったら「×2□」、そして次に「×3□」、最後が「×4□」

ここまでできたら、もういくつでも対応できると思うので、99×99まで行けます。

毎日10分の練習で2か月もしたら、かなり進みます。

計算をする目的によりますが、計算力の鍛錬が目的ならば、こういう暗算をやって行った方が良いと思っています。

 

少々、話が逸れますが、どうして、17×18=(17+8)×(18-8)+7×8という変形ができるかを、言葉で説明できる力も必要です。

計算が速く正確に解けることを重視するのは、コンピューターが普及する前の昭和の算数だと私は認識しています。

もちろん、それも大切ですが、なぜ、そうなるのか?を重視するのが、すでに始まっている教育改革だと思います。

スカイプ指導では、かけ算の理由を問われたら、必ず長方形をかくように指導しています。

 

計算から、場合の数に話を変えます。

先日のスカイプ指導で、場合の数の問題で、10個のミカンを3人で分ける問題を扱いました。

みんな最低1個はもらう問題ならば、9×8÷2=36通りで求められますし、0個でもいいという問題ならば(10+2)×(10+1)÷2=66通りと求められます。

生徒さんは地道に書き出して解いていましたが、隣にいたお父様から「(上記の)式で解かなくても良いですか?」と質問されました。

 

これは、4・5年生ならば書き出しが良いと思います。

6年生の夏くらいからは計算が良いと思います。

理由は、上の愚直な暗算と同じで、鍛えられるかどうかです。

4・5年生ならば書き出して、その書き出したものを並べ替えてという一連の作業で鍛えられることになるので、その鍛錬を省きたくないです。

ところが6年生の中盤を過ぎると、十分な力がついていて、そのくらいのレベルの問題では何も鍛えられません。

 

例えば、運動を一切せずに1日中家にこもっていて体のなまった私が階段を100段昇るとなると、相当大変で良い運動になりますが、若くて日頃スポーツで鍛えている人からすれば、100段なんて普通の道を100歩歩いている感覚で何も鍛えられることなく涼しい顔で昇っていくと思います。

鍛えられないのならば、鍛える目的は捨て、速く正解にした方が良いと思うので、計算で良いと思います。

その際、もちろん、どうして「9×8÷2」なのか「12×11÷2」なのかを理解することが前提で、その理解することが学力となります。

 

計算にしても場合の数にしても同じことで、速く正解になれば良いのか、鍛錬が目的なのかで行動が変わります。

大人社会から見ると「常に速く正確」が正義と考えられるかもしれませんが、それは最終目標なのであって、その前の段階として鍛錬が必要だと私は考えています。

まさに場合の数の指導方針通りです。

 

そのあたりは個人個人の感覚なので正解はありません。

指導者や保護者が、結果を重視するか、鍛錬を重視するかです。

 

また、鍛錬といっても、子どもの状況によって、これは鍛錬になっているかいないかを判断し、常に鍛錬になるくらいのハードルを用意することが大切です。

場合の数ならば、いつから計算式に切り替えるか、暗算なら、「×1□」から「×2□」にいつから切り替えるかなどです。

その判断力が、講師のセンスだと思います。

サピックスに入社して研修中に、塾講師にとって最も大切なものは「センス」と社長に言われました。

当時は新入社員は社長室に勤務でマンツーマン研修でした。

「速く正解」と「鍛錬」をくらべると、この「センス」という言葉を思い出します。

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