- 2017年10月26日
ときどき、まず、子どもに自信を持たせようとする意見を目にしますが、子どもに自信はあってもなくても良いと思います。
自信の有無だけでなく、好き嫌いもどちらでも良いと思います。
点数が取れれば、自然と苦手意識は減りますので、このような自信とか好き嫌いとか得意不得意の感情はあまり気にしない方が良いと個人的には思います。
好きでも好奇心に繋がって、どんどん調べていく子もいれば、そういうものに繋がらずに、タダ好きと言っているだけという子もいて、後者の方が多いような気がします。
とは言いましても、家庭教師は担当の生徒に自信を持たす指導をすることが最優先だと思います。
親や塾講師は自信をつけさせることは考えずに、家庭教師は最優先で考えるというのが、私の持論です。
どうして家庭教師にお金を払っているか考えると、保護者の立場なら「学力を高めるため」とか「偏差値を上げるため」とか「志望校に受かるため」という言葉が思い浮かびそうですが、私は「自信をつけるため」が理想的な考え方だと思います。
以前働いていた早稲田アカデミーでは、社訓として、授業料の対価は「合格」としていましたが、私はその考えは違和感がありました。
上に書きましたように、塾は自信を与える場ではありませんが、対価は合格以外のところにあると思います。
それはまた別のブログに書いていきたいと思います。
今回の内容は、自信と少し近いですが、プライド(自尊心)の話です。
プライドの高い低いは性格なので、自信と同様に高くても低くても良いと思います。
プライドが高く上手く行く子もいれば、プライドが低く上手く行く子もいますし、逆もいます。
統計的にどちらが多いかを気にする方はいると思いますが、こういう性格面では統計は関係が無いと思います。
ただし、その性格によって勉強スタンスを変えるべきだと思います。
プライドが高い場合は、この問題は絶対に理解したいと考えると思います。
どうしてそうなるか、次にこの問題をどうしたら解けるかという考え方で取り組みます。
したがいまして、そういうタイプの子は、早めに解説を見て、それを理解する学習でも良いと思います。
解説を見る学習でも、学習の質が低下しません。
プライドが高いと、解説を見たがらないかもしれませんが、ほどほどのところで切り上げて、解説を理解する学習に移った方が良いと思います。
逆に、問題に長々と接している方が、学習の質が下がる恐れがあります。
それに対して、プライドが低い場合は、解説を見ても、覚えようとして、学習の質が低下する恐れがあります。
その場合は、例えば解説にダイヤグラムがかいてあれば「解説にはダイヤグラムがかいてあるよ」と一言、解法の方針を伝え、それで少し考えてみて、それでもダメそうなら、解説を軽く見ます。
目を三角にせず、リラックスした状態で軽く見る程度にします。
それで、すぐに解法が分かって再度解き進められれば良いですが、よく分からなければ、その問題は「捨てる」で良いです。
解説を見て理解する学習の方が、捨てるよりも、遙かに良い学習のように響きますが、実は、大きな差がありません。
かなり優秀な子でも、諦めるときは諦めます。
解説を見て、理解したつもりになっても、木を見て森を見ずというような見方をしている可能性もあります。
解説を見るのは、しっかり学ぶためというよりも気持ちの問題が大きいです。
気持ち的に捨てられないなら捨てず、捨てられるなら捨てれば良いと思います。
厳しいことを書きますが、解けずに解説から一言ヒントをもらっても、軽く解説を見ても方針が立たないということは、その問題とはレベルが合っていなくて、あまり得られるものは無かったと言えます。
レベルが合っていない問題だと、解説を理解するしないで学習の質に差が出ないということです。
ちょっと話が逸れますが、プライドが低く、物事を軽く捉えている子の方が、解き方にこだわりが無く、良い解き方を吸収しやすい印象があります。
プライドが低く、自信がない子が、スカイプ指導開始後にめきめきと上達していく姿はときどき見ます。
これは、学力がもともと高く、その学力が成績に繋がり、本領発揮しやすい条件として「プライドが低い」というものがあると捉えると自然だと思います。
よく、社会人になると、プライドは捨てろと言われると思いますが、それと似たようなものです。
まとめますと、プライドの高い子は、解説を理解する学習、プライドの低い子は、答えまで辿り着いて力をつける学習が良いと思います。
どちらでも特性を生かすことができれば、学力は上がります。
性格が変われば良いなと思うよりも、性格に合った学習スタンスをつくっていくことが大切だと思います。