- 2019年6月12日
算数が出来るためには、国語力が必要!?
表題のことを塾関係者に言われ、それを受け止めている方はどれくらいいるのでしょうか?
塾講師でも、国語講師は勉強して欲しいからか、本心からかは分かりませんが、ときどきそう言います。
もっともらしいことを言うと説得力が高まるから言っているだけのような気もします。
算数講師でそれを言う人は私の記憶にはごくわずかの人しかいません。
ただし、長い文を読むのが嫌いで、算数で長文が出たときに数字とその前後の文字だけ見て解いてしまうケースがあります。
それでは、読解力以前の問題で、算数の問題を正しく解けません。
これを持って国語の読解力がないとと言うのは言いすぎだと思います。
最近、入試問題の長文化や、解き方を説明する問題が多いです。
それを目の当たりにすると、読解力が必要というフレーズが気になってしまうことはたしかですが、読解力ではなく、文章を読むか読まないかがポイントになります。
説明させる問題
例えば、「どうして円周率は3.14なのですか?理由を答えなさい」という問題があったとします。
日本語で意味の通じる文章を書く必要がありますが、国語が得意で、読解力が得意な人ならアドバンテージがあるのでしょうか?
円周率がなぜ3.14倍かに興味がある子で、それを理解した子しか通用しないと思います。
読解力ではなく、算数の好奇心が大きいです。
説明文を書くから国語力というのは、あまりにも短絡的すぎます。
しっかり理解していれば言葉にできて、しっかり理解できていなければ言葉にできないとなります。
読解力よりも、言葉で説明できるレベルで身についているかです。
円周率の3.14の理由は「角の多い多角形を、円に内接するものと円に外接するものの2つをかき、その多角形のまわりの長さを求めたら、円の直径(多角形の最も長い対角線)の約3.14倍になるから」くらいの内容で満点がもらえると思います。
どういうことをしたら良いかが大切で、言葉に表す力はそれほど必要ではありません。
長文が読めれば
算数の入試問題は、大学入試改革の影響か、会話文の問題が増え、また、条件が多い長文の問題が増えました。
条件が多いと、どの条件から見ていけば良いのかが難しくなります。基本的には、問題文に書かれている順に条件から使えば良いのですが、それでは上手くいかない問題もあります。
条件を見たときに、「あっ、これから使うのか!」と感じ取る力がすべてです。
その際に国語力は必要ありません。
この条件から何を求めることができるかをイメージする力が必要です。
条件というのは数字だけでなく、「等しくなる」とか「同時に到着する」などの言葉もあります。
条件を見落とさないためにも、長文を読みこなす体力といいますか、文字を見慣れていないと難しいです。
「読解力が無い」=「長文を読めない」ではありませんので、長文を一字一句きちんと読む習慣さえつければ、あとは条件を使う算数のセンス次第です。
算数の読解力
次の問題は長文ではありませんが、比較的、算数の読解力が試されます。
アメ玉が1、2、3、4、……、130個入った缶が1つずつ、合計130個ある。
これらの缶からいくつかを選び、選んだ缶から同じ個数ずつのアメ玉を取り出す。
これを1回の「操作」とする。
何回かの「操作」で、すべての箱のアメ玉を取り出す方法を考える。
「操作」の回数が最も少なくなるような方法を実践したら、1回の「操作」で取り出すアメ玉の個数(全部の缶から取り出すアメ玉の個数の和)は、最大で何個になるでしょうか。
算数の読解力というのは、上記の通り、条件を感じ取る力です。
ただし、この問題では条件というのが、状況説明くらいでピンときません。
「こうしたいな」と感じる力が必要です。
「たくさん取りたいから130個!」ではありません。
「全部から取り出すから1個ずつ!」これはこれで効率が悪すぎます。
これといった決め手はないのですが、なんとなく平らに均したいという気持ちが沸き起こります。
全体の箱のうち、多い方半分を減らすという感覚です。
すると箱の個数は2の累乗が良いけど、とりあえず、単純に半分の65個から取ってみます。
1,2,3,4,……,64,0,1,2,3,……,65
そして次も約半分の33個を取ってみます(32個もあとで試す必要があります)。
1,2,3,4,……,32,0,1,2,3,……,31,0,1,2,3,……,32,0,1,2,3,……,32
ここで、取る回数と取る枚数と残りの最大値の表を書いていくと、上手く考えることができると気がつきます。
ここまでの流れで、約半分を取っていけば良いことにも気がつきます。
取る回数 | 初め | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
取る枚数 | 65 | 33 | 16 | 8 | 4 | 2 | 1 | 1 | |
残りの最大値 | 130 | 65 | 32 | 16 | 8 | 4 | 2 | 1 |
1回目に65枚を66個の缶から取るので、65×66=4290が答えだと思います。
上記のように32個を取る場合も試したり、この問題はよくよく考えるととても深く、軽々しく答えを4290と言えない問題なのですが、ここまでとしておきます。
この問題の算数の読解力は国語とまるで関係がないのではないでしょうか?
条件から、こうしたら上手く行くかもという想像を働かせることが算数の読解力です。
平らに均す感覚が生じる力です。
国語の読解力とはかなり異なると思います。
上記のように少し作業していきながら、表でまとめようという気持ちが沸き起こることも重要ですが、これも算数の読解力の一種で、国語とはほぼ関係がありません。
「日本語を読んで問題を読む」=「国語力が必要」と聞くと、鳥肌が立つほど、恥ずかしい意見のような気がします。
算数の読解力と国語の読解力の共通点
逆に言えば、国語の文章こそ、算数らしく問題を読んで、この条件からこう考えていくとした方が良いと思います。4・5年生のときに、いままでの豊富な読書からなんとなく解けていたのが、6年生になって通用しなくなったという話をよく聞きます。
条件から繋げていく感覚が無いと厳しいのだと思います。
速さで「休憩したり、何往復かしたりして進みながら出会う問題という条件があったら、ダイヤグラムをかく」というような感覚で問題文を読みますが、国語もこのように読解していくような気がします。
その意味では、国語と算数は似ているとも言えます。
似ているけど、国語ができれば算数ができる、あるいは算数ができれば国語ができるとはなりません。
問題文の条件からどう繋げていくかという内容がまるで違うからです。
国語が得意で算数が苦手なら
しかし、問題文の中に条件があり、それを使って解こうという姿勢は同じだとすれば、国語が得意で算数が苦手、算数が得意で国語が苦手のどちらのタイプも、ちょっとコツを身につけたら、苦手がかなり解消されるような気もします。
実際、論説文になったら、算数が得意な子が伸びてきたという国語講師の話はよく聞きました。
逆もないことはなくて、この子、潜在的には算数はそんなにダメじゃないのに…
という印象の生徒さんが、算数に対する苦手意識が強すぎて、できるようにならないケースが多いような気がします。
式を覚える学習になって、算数の問題状況をイメージしようとしないからが原因だと思います。
図を描いて、表を書いて、数字を書き出してというようにイメージしながら解くようにすれば、国語が得意で、算数に妙に苦手意識のある生徒さんも変わっていくと思います。
ポイントは解けなかったときに、式を身につけるのではなく、上記のようなイメージできるものを書いて、納得することです。
算数が得意で国語が苦手ならば、長文を読むことができる状態ならば、今後、算数はどうなるか心配するよりも、国語の読み方でコツを掴むことに力を入れた方が良いと思います。