- 2018年3月6日
先日、テレビで林修先生が「丁寧に字を書こう」という指導をしてはいけないというようなことを言っていました。
できる子は字が汚いことが多いので、直す必要はなく、できない子は字を綺麗に書こうとすると、整理する力が上達せずに、綺麗に書くことで満足して終わってしまうというような話でした。
言わんとすることは分かりますが、やはり、テレビは刺激のある言葉を使って、視聴者を呼び込むことしか考えていないなという感想です。
字の綺麗さは、いままでどれだけ書いてきたかという作業量で決まります。
書き慣れていなければ、字は汚く、書き慣れていれば、美しいかどうかは別にして、とりあえず整った字になります。
私も子供の頃は、どうせ参考書に上手くまとまっているからノートを取る意味は無いと考え、サボりまくっていました。
小学生のとき、教科書を丸写しする授業がありましたが、書き慣れていないせいか、クラスメートの中で遅い方でした。
40人中30位台だったと思います。
算数では、終わった人から授業終了というときは大抵1番目に終わっていたので、それとくらべると別人のようだったと思います。
遅いだけでなく、書き慣れていないことで、字も下手でした。
最近はパソコンで文字を書くことは多いですが、ペンを持つことはほとんど無いので、以前より、さらに字が下手になったと思います。
直筆が良いという文化がとても苦手です(笑)
自分語りをしすぎましたので、話を戻します。
いままで生徒さんを見てきて、女子は成績の良い子はたいてい字が綺麗でした。
林修先生は、女子でも汚い子がいたと紹介していて男女差には触れませんでしたが、字の汚い女子は極少数だと思います。
そもそも字が汚いということは人生において不利なことですし、精神年齢の発達した成績の良い女子は、そんなまわりから白い目で見られる大胆な行動は取らないのではないでしょうか。
その例に挙げた女子は東大理Ⅲらしいですが、どうして、高校生の頃の答案用紙がいまもあるのでしょう?
字が汚いから、いつかテレビで使ってみようということで残しておいたのでしょうか?
番組制作の過程で書いてもらったなんてこともありえそうで恐ろしいです。
桜蔭や女子学院などの難関校は、余程の才能を持っている子ではない限り、勉強量が必要です。
字をたくさん書くことになるので、字を綺麗に書こうと意識しないでも、綺麗になっていくと思います。
男子は、算数が得意な子は字が汚い傾向にあります。
それは、暗算が得意だったり、頭の中で組み立てられるから字を書く量を減らすことができるというのと、算数が得意な人は無駄なことはやりたくないという合理主義が多いということも要因だと思います。
隙あらば書かずに過ごそうと考えているということです。
男子の場合は、周りの目を気にしないタイプもいますし、「俺、字が汚いの個性だから~」なんてうそぶく子もいそうです。
灘や開成を目指している子はそれなりにしっかり勉強していますが、女子とくらべて、字を書く量は勉強量に比例していないと思います。
超優秀児と、勉強量の少ない成績の良くない子が、字を書く量が少なく、字が汚い傾向にあります。
スカイプ指導では、書き方を事細かく指導していますが、できる子は放任しています。
その代わり、できる子でも、その問題ができなければ「君のレベルじゃ、丁寧に表に書き出していかないと解けないよ」などときついことを言います。
誰であっても、丁寧に整えて書いた方が解きやすくなり、解法力が上がります。
汚く書くことはハンディキャップです。
自らハンディキャップを設けて、それを克服していく学習をしていけば、学力がより高まります。
丁寧に書くことが苦痛と感じたり、書くことで解くスピードのリズムが崩れると、頭の回転が悪くなる恐れもあります。
このように考えていくと、字を汚く書くことは鍛錬と捉えて黙認し、それでは通用しなくなったらフォーム改造という作戦がいいと思います。
テレビを見て、汚い字を書いた方が良いのか、できる人は凄いなと呆れて見ればいいのか、よく分かりません。
最近、受験に関するバラエティ番組が多いような気がしますが、間違った情報になる可能性が高く、弊害が大きいと改めて思いました。
視聴率を上げるために、インパクトのある言葉で、誤解を与えることもありがちなテレビ番組よりも、受験生の保護者様にとって有益な情報を伝えることをモットーとした我々の塾講師ラジオの方が、くらべられないほど価値があるのではと思いました。