やる気を高めることは大切?

いままでは教材作りの作業中は音楽を聴いていました。

TSUTAYAの宅配レンタルCDを借りては返すということをくり返し、1ヶ月に20枚以上借りました。

いまは借りたいものがなくなったので、休会しているところです。

2年近く休会をしています。

そろそろ復活しようと考えています。

 

ところが、最近はラジコで、昼間はNACK5を聴くことが多くなりました。

午前のモナカと午後のゴゴモンズを8時間くらいずっと流しています。

ゴゴモンズの鬼丸師匠からは、社会人としての常識や立ち振る舞いを学べるような気がします。

 

昨日はゴゴモンズで、今、大ヒット中の「うんこ漢字ドリル」について語られていました。

私は、国語や漢字については語らないようにしていますので、その漢字ドリルについての感想は特には持っていません。

しかし、あまり良い気分ではありませんでした。

そんなのにしか興味を示せない小学生にがっかりしているのか、そういう低次元のドリルが売れていることに対してもどかしい気持ちになっているか分かりませんが、すっきりしない心境でした。

ブログに書く機会があれば、どういう気分なのかを冷静に判断して、それを言葉や文章にしていましたが、国語や漢字についてでしたので、あまり気にしないようにしていました。

 

鬼丸師匠は、賛成の意見も反対の意見もあるのは分かると言っていましたが、ある教育者の言葉にしっくりきたそうです。

それは、「ドリルは誰でもやるもので、興味があるからやるとか、面白くないからやらないというものではない」という言葉です。

私もしっくりきました。

普通の漢字ドリルを勉強していた小学生が「こっちの方が学習効果が高い」と予測して鞍替えするのなら良いと思います。

しかし、普通の漢字ドリルを勉強できなかった小学生が「これなら面白いからやれる!」というケースが多そうなので、おぞましい気分になるのです。

 

「この参考書は分かりにくいから、使えない」

「こっちの参考書は面白くて身につきやすいからこれを使う」

 

これは良いと思います。

分かりにくい参考書は頑張って使う必要はありません。

しかし、漢字ドリルや計算ドリルは分かりにくいなんてことはありません。

誰でも書き取りしたり計算すれば、力がつきます。

レベルが高ければ下げれば良いだけで、そこに面白さを求めるのはおかしいです。

 

さて、そろそろ本題に入ります。

よく、「やる気にさせると強い」と言われます。

何年か前には「ヤル気スイッチ」などという、存在しないものが、さもあるような風潮もありました。

 

私は、やる気をあまり肯定していません。

やる気があるという子も、ちょっと上手く行かないと、すぐにやる気が消滅するからです。

講師として、やる気にさせる言葉をかけるよりも、解きやすい解法を教える方がずっと大切だと思います。

これは賛否両論があるかもしれませんが、実際にできるようになるのは、良い解き方を説明された子の方です。

 

もちろん、やる気はないよりもあった方がいいのは間違いありません。

しかし、やる気があればすべてが上手く行くと考えることに無理があるのです。

ご家庭でもやる気が増すような声かけは必要です。

しかしそれでやる気にならなかったとしても全く問題はありません。

やる気を削ぐような声かけを避ければ、それ以外はあまり気にする必要がありません。

どうやったらやる気になるんだろうと考えるのではなく、やる気をなくす言葉は控えようと考えるだけで十分です。

 

やる気を増すよりも大切なことがあります。

お分かりだと思います。

冒頭で長々と書いた「うんこ漢字ドリル」と同じです。

「面白いから漢字ドリルをやる」のではなく、「ドリルだからやる」という考え方です。

やる気があるからやる、ないからやらないというのではなく、勉強をすることが普通という姿勢です。

 

よく、親が学歴が高いと、子も学歴が高いのは素質や地頭や遺伝と言われます。

それを否定する気はありませんが、親が「これくらい勉強するのが普通」、「こういうことに興味を持つのが普通」という姿勢でいるからこそ、子も同じように育つという側面もあると思います。

幼少期から卓球をして、いまではオリンピックでメダルが取れそうな実力になった平野選手や伊藤選手を見ていても、卓球をするのが普通の環境で育ったことが大きいと思います。

  • このくらい勉強するのが普通
  • このくらいの点数を取るのが普通
  • このくらい落ち着いて読書をするのが普通

このような意識を持って、お子様に接することができましたら、だんだんそれが生活スタイルとして染みついて、成果を上げる気がします。

 

私が子供の頃の話を少し書きますと、我が家の家系は、理系が多く、医者、大学教授、高校教師が何人かいて、みな数学が得意です。

数学が得意だった父親が、姉については早々に理系を諦め、私と弟についてはやはり理系かというようにとらえていました。

そういう感覚を持って接したことで、実際にその通りになったのだと思います。

私が子供の頃は、算数で負けたら一家の恥で父親に顔向けできないくらいの感覚でいました。

そのようなできて当然というプライド・姿勢が大切なのではと思います。

 

保護者様自身が理系科目が得意でしたら、できるのが普通という感覚で接し、理系科目が苦手でしたら、勉強をするのが普通という感覚で接することが大切だと思います。

やる気よりも、普通という空間作りが大切です。

想定通りに行かない場合でも、烙印を押したり、叱ったりせずに、「あれっ、おかしいな。勉強好きじゃないのかな~」と言いつつ、保護者様自身が勉強や読書をしていれば、やがて同じ方向に進んでくるのではないでしょうか。

実際はどこの中学に合格したかは不明の下剋上受験でも、父親のあの姿勢は真似をするかどうかはともかく、ひとつのヒントだと思います。

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