予習って何ですか?

中学受験勉強の歴史

中学受験の勉強はレベルが高く、予習というものはずっとありませんでした。

難しすぎて予習ができないからです。

国語で文章を読んでくるとか、社会でテキストを読んでくるとか、文系科目ならば予習は有効です。

理科も知識ならば事前に覚えてもいいので予習もありです。

しかし、算数は厳しいです。

昭和の頃の四谷大塚の予習シリーズというのは、準拠塾で教わってから(予習してから)、日曜テストに挑むというもので、生徒の立場で言えば予習ではありません。

それがいつの間にか、サピックスの復習主義に対抗するかのように、四谷大塚が予習主義と言い出してから、混乱が始まったと思います。

 

予習とは担当講師次第

予習シリーズを使っていても、塾によって、あるいは講師によって、予習するしないが異なります。

また、予習制にしたとしても、予習の捉え方が、講師によって異なります。

講師によって、予習の重要性はバラバラだと思います。

基本的に、講師はクレームを恐れますので、難しくて予習できないと言われれば、「分からないところは塾で教わればいいから、難しいところはやらなくていい」と答えます。

そうしますと、仮に例題1で難しいと感じた場合、「難しいから手をつけない」か「解説を読んで理解に努める」か「過去の教材や参考書を参照する」か「親や家庭教師に聞いて理解する」かどれが良いか判断できません。

個々の講師によって、予習の扱いが異なるため、担当講師に事細かに聞いてコンセンサスをとって行くことがベストとなります。

あまりよく考えていない講師の場合、予習の指示も曖昧で、相談されても曖昧で、授業も曖昧で、学習効果もないことになりますが、案外、そういう講師は多いような気がします。

 

私の考える予習は2パターン

もしも、私が予習制の塾で授業を担当したとしたら、完璧な予習か基礎概念だけの予習のどちらかを採用します。

 

完璧な予習とは「予習シリーズの例題(応用例題は除く)は完璧に解けるようにしてくる」です。

覚える算数になっていると思いますが、それを、授業で矯正していく形になります。

予習で例題を完璧にというと負担は大きくなりますが、予習するのなら、そこまでやらなければ、意味が無いという考え方です。

そういう指示をするのならば、例題のレベルをもう少し下げたり、解説を読み物風にしたりすればやりやすくなるのですが。

 

基礎概念だけの予習とは、例えば、売買損益算ならば、150円の2割増しとは180円になるとか、食塩水ならば、食塩50gと水200gを混ぜたら濃度は20%になるとか、そのレベルまでです。

これは、2割増しならば「150×(1+0.2)」というような覚える算数では意味がありません。

あくまでも概念を理解して習得するところまでです。

基礎概念が分かっていたら、授業はすぐに実践演習に入れて、とてもやりやすくなります。

もしも予習無しで基礎概念を授業で説明するところから始めますと、丁寧に説明したつもりでも、サクッと理解できる子もいれば、理解できない子もいます。

理解できない子も、いろいろな図を描いて、しっかり向き合えば理解できるはずですが、集団授業では難しいということになります。

学力別クラスでもこのように、基礎概念の習得は個人差が大きいです。

授業で吸収不足という最大の原因はこの基礎概念がしっくりくるかどうかだと思います。

 

その意味では、予習無しの授業よりも、予習有りで、予習で基礎概念だけは身につけてきてもらうと、講師も集団授業をスムーズに進められ、生徒もスムーズに吸収できて良い感じに進んでいくと思います。

どこまでが基礎概念という判断も講師によって異なりますので、基礎概念教材というものは渡した方が無難だと思います。

 

学習効果は予習主義の方が高い

結局は、予習で取り組みやすい例題や予習で分かりやすい解説のある教材、あるいは基礎概念に特化した教材を用意していないから、予習で苦労しますし、効果が出ないという現状が起きているのです。

上記の教材があれば、授業中に基礎概念で躓かないので、予習主義の方が授業の吸収力が上がります。

そういう教材がないのならば消去法ですが、復習主義の方が効果があると思います。

予習が良いかどうかは、教材があるかどうかで決まります。

そういう視点で、授業を受けられると良いと思います。

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