- 2021年1月20日
日本では褒めて伸ばすという考えが21世紀初頭頃から強くなりました。
その結果はあまり良かったとは言えないのではないでしょうか。
理由は簡単で、褒められると、手を抜いても良いと捉えるからです。
人間(他の動物もだと思いますが)は「楽をしたい」と考えるので、楽ができるお墨付きをもらえれば、楽な方向に流れていきます。
「もっと褒められるように頑張る」子もいますが、だいたいそれは「もっと良い成績を取りたい」気持ちの方が強いのではないでしょうか。
そういう子は、褒められなくても同じ行動になると思います。
「褒める」と「認める」というものがあり、これを分ける考え方もありますが、ほとんど同じだと思います。
誰が褒める(認める)かが重要です。
例えば、私は「比と割合」表で解く練習問題120という書籍を発行しました。
一応、実家の両親に本を出したと伝えました。
実家の両親は私が褒められるのが嫌いと知っているからなのか、驚きもせずに「ふ~ん」の一言で終わりでした(笑)
仮に、親に「凄いね!」と言われても、私は良い気分にはなりません。
「本くらいは書こうと思えば誰でも書けるよ」と答えると思います。
ところが、算数指導スキルが高い塾講師が「あの本とても良いですね!」と言ってくれれば、天まで昇る心地になります。
意欲が湧いて、さらに仕事に精を出そうという気持ちになると思います。
客観的な立場のこの人が褒めるということは、本当に良いものなんだと実感できるかどうかです。
よく、結果ではなく過程を褒めた方が良いと言われます。
これもどうなんでしょう?
- 頑張って労力をかけて良い結果になる
- あまり労力をかけずに良い結果になる
- 頑張って労力をかけたのに良い結果にならない
- あまり労力をかけず、結果も良くない
①は「頑張った成果が出たね」
②は「短い時間で良い結果を出せるのは良いことだよ」「これが続くと良いね」
③は「やり方を変えた方が良いんじゃない?」
④は「やらなければこの結果だね」
このような声かけになりますが、どれも褒めていませんし、貶してもいません。
認めるというよりも、単なる感想を述べただけになっています。
「この人に褒められたい」というような立場の人でなければ、褒めようとか認めようとするよりも、客観的な感想を伝えるので十分な気がします。
感想くらいは言わないといけないとは思います。
いままで見てきた優秀な生徒さんの保護者で考えますと、褒めるタイプと褒めないタイプとで、成績に相関関係はないと思います。
褒めて伸びていく子を見ますと、「これが真の教育だ!」と思ってしまうかもしれませんが、褒めても伸びない子の方が圧倒的に多いです。
それよりも「○○が終わったら遊ぼうね」というような厳しい面があり、○○のレベルを徐々に上げ、当たり前の水準をどんどん高めていく印象があります。
「結果ではなく過程を褒めよう」という主流の姿勢から、「当たり前の水準を徐々に引き上げよう」という姿勢に切り替えた方が良いと思っています。