- 2021年10月28日
読書をすると学力が伸びるから、読書をするように教育しましょうと言う人がときどきいます。
読書と言っても読み方は人それぞれで異なります。
一字一句どういう意味なのか、作者は何を言いたいのかを丁寧に理解して読む人もいれば、斜め読みでおおまかな内容だけさらって読んで終わりという人もいます。
新聞やインターネット記事になると、タイトルしか読まない人がいたりします。
小学生の国語では、怒っていて、呆れて「薄ら笑いをした」というフレーズがあると、「笑い」という文字と「薄」という文字も見て、少し楽しかったなどと読み取ってしまう子もいると思います。
薄ら笑いという語彙を知らなくても前後を読めばだいたい意味は分かるはずですが、前後をしっかり読んでいないし、語彙も知らないから、ダブルでダメなので、逆に読み取ってしまうのだろうと思います。
読書をすればいいわけではなくて、どのように精読していくかが重要です。
歴史が好きな子は、バックボーンがあるので、歴史の本を読むとしたら、精読ができていなくてもだいたいの意味が分かり、知識を広げられます。
つまり、読書とは、例えば、歴史の本を読んだら、歴史について学べるというだけに過ぎません。
読書で、読解力向上を期待するのも厳しいですし、ましてや、それで学力全体の底上げにどう繋がるのか、分かりません。
集中力の持続力という話ならば、たしかに読書は能動的なので、ゲームよりは現実味がありますが、能動的なものは読書以外にいくらでもあります。
このように、何かをすれば、他のものに好影響を与えるという、風が吹けば桶屋が儲かるという発想はとても無駄な労力を使うと、個人的には思っています。
素直に、読解力を上げたいならば、精読を心がけ、理科の生物を身につけたいならば、生物の図を模式図で描いたり名称を書いたり、役割を1行で書いたりという身につけたいものをしっかり取り組めば良いと思います。
身近な出来る子が、読書が好きな子が多かったという事実があったとしても、読書をすれば出来るようになるわけではないことは、論理の勉強をしていなくても明白だと思います。
私は、小学4~5年生は、場合の数をしっかりやると、算数全般が出来るようになるから、場合の数が受験算数の基礎というようなことも言ったり書いたりしています。
それは、場合の数で丁寧に書き出したり、場合分けして、それぞれ何通りか書くときに、必然的に表のように整えて書くことになるからです。
正確に端折らないで書きますと、場合の数で書き出したり場合分けをすると、表にまとめる習慣ができて、その習慣を生かしていくと、算数が得意になることが多いということになります。
決して場合の数で頭が良くなるとかではありません。
表を書いてから考える習慣ができると、自力で考える機会が、まわりの子よりもずっと多くなるので、頭が良くなる可能性は高くはなると思います。
場合の数と言っても、書き出しもせずに、表のようにまとめる習慣も身につかなければ、それは算数を得意にしたり頭を良くする基礎学習にはなっていません。
どういう姿勢で場合の数を取り組むかによりますが、当教材の場合の数ならば、書き出す方針の問題が多く、解説は表のようにまとめて書いているので、それを真似していく姿勢があれば、自然と表にまとめる習慣ができると思っています。
○を出来るようになりたいときは、○をやるというのが原則ですが、論法がしっかりしているものならば、○を出来るようになりたいときは、△をやるでも良いと思います。
世の中にあふれている情報は、論法がしっかりしていなくて、□をやっている人に○が出来る人が多いというものが、さも、「□をやれば○が出来る」にすり替わっていく傾向があります。
学力を上げるのに近道はなく、平凡だけど、みんながやらないことを愚直にやって、ようやく相対的に学力が上がることになります。